私がその青年に出会ったのは、数週間前のことだった。いや、年齢的には確かに青年と言っていいかもしれないが、見た目だけでは少年と呼んでも差し支えがないだろう。むしろ、少女と呼んでもいいかもしれない。……まぁ、そんなことはどうでもいいことだ。
 どこか不思議なその子と会ったのは、雨の日だった。
 会社帰りの私は、少しの苛立ちと共に歩いていた。予報にはなかった突然の雨を無視できるはずもなく、私はコンビニで傘を買うはめとなってしまったのだ。出費自体はたいしたことはないが、その行為が今は煩わしい。
 すでに身体はくたくたで、だからこそ雨が鬱陶しい。吹き付けてくる風のせいで横殴りに私の体を叩きつけてくるのだからなおさらだ。私は一刻も早く帰りたかった。
 だが、何故なのだろうか。私は近所の公園を通りすぎるときに、まるで何かに導かれるように視線を向けた。そして、そこに立っている一人の人物を見つけたのだった。少し茶がかった髪に、性別というものを感じさせない美しさ。それが、降りしきる雨に打たれているのだ。……私はただ見とれて、言葉も発せずにいた。年の頃は12、3だろうか。中性的な容姿をしている少年は、ただそこに立っていた。





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 そして次の瞬間、私は正気に戻る。少年がいつの間にか振り向いて、こちらをじっと見つめてきていたからだ。私は自分の不審な行動をひた隠し、取り繕うように『こんな所で傘も差さずに何をしているんだい? 風邪を引くよ?』と言った。少年はそれに数回目を瞬きさせたあと、右手で強かに濡れた前髪を弄りながら、笑顔で言った。『いいの、わざとだから』、と。
 今思えば、節度ある大人として私には何か言うことがあったのかもしれない。しかし、その時の私は、突然の出来事と少年の予想だにしない答えとが相まって、何も言えなかった。ただ呆然とした思いで少年に別れを告げ、何の憂いもなく自分の家に向かって歩き出したのだ。
 その少年とはその日はそれ限りだったが、次の日にまた会った。何となく気になってまた会社帰りに公園を訪れてみると、同じようにいたからだ。私は予想外の邂逅に驚きと嬉しさを感じたが、それを襲い来る不安が雲散させる。……彼からしてみれば、私はどう考えても不審人物ではないか、と。私がそう思い固まっていると、そんな私の考えは杞憂だと言うばかりに少年が話しかけてきたのだ。
 それから何を話したのか、今となってはもう覚えていない。……だが、とても楽しい時間だったように思う。
 そうして私は、いつしか会社帰りに少年とその公園で会うのが日課になっていた。少年も私と会うのを楽しみにしているようだったし、私も幸い独身だった。早く家に帰らねば、ということもなかったのだ。気楽な者同士、私たちは惹かれ合った。……初めて会った時は区別がつかなかったが、少年は『男』で、近くの高校に通っている学生だということもわかった。
 少年といると、私はどこか切ない追憶の念に襲われる。何故かはわからないが、それは何となく心地よいものだった。


 ……カラスが鳴いている。日が、暮れかかっている。私は、今日もいつものように公園に向かっていった。逆Uの字に地面に突き刺さった柵のある入り口を越えると、ブランコに乗って揺れている彼の姿があった。

「こんにちは。……いや、もうこんばんはかな?」

「あ、蓮(れん)さん! お帰り!!」

 私の間の抜けた挨拶に、少年は私の名前を呼んでブランコから立ち上がり、駆け寄って抱き付いてくる。懐いてくれるぶんには気分は悪くない。悪くはない、のだが……。

「筧(かけい)、お帰りはないだろう。それだと、私の家がここということになってしまう」

「僕にとっては、それでいいの」

 尚更、顔を私のスーツに擦りつけてくる筧。その姿は、どう見ても男子高校生でないことだけは明白だ。私はやんわり筧を引き剥がし、二人で隣り合ってブランコに座った。ふいに、筧が言った。

「そういえばさ。蓮さんは、何で自分のこと私って言うの?」

「いきなりだな。……そう、だな。小さい頃から公(おおやけ)の場で発表することが多かったからな。いつの間にか染みついていたんだろう」

 私は素直に口にした。適当にはぐらかしても良かったのかもしれないが、この少年にはそれをしてはいけないと思ったのだ。筧はすぐに答えてくれたことに気を良くしたのか、鼻歌交じりにブランコを漕ぎ だした。そのまま数回こいで、勢いをつけこれからというところで、急に地面に足をつけてブランコを止めた。

「蓮さん……」

「何だい?」

 訝しげな私を呼び、目を伏せる。

「ブランコは、地面に足をつけたら止まるよね」

「……あぁ」

 突然のことで、私は筧の意図を理解出来なかった。ただ無機質に言葉を返し、それに気にすることもなく、筧はさらに続けた。

「地球は、丸いよね」

「あぁ」

「じゃあ、人は何のために生きるのかな」

「……?」

 無意味な問答の末、筧の投げかけた疑問は余りにも飛躍しすぎていた。私は益々眉間のしわを深くするが、筧自身、別段明確な答えを望んでいるわけではないようだった。地面にいる蟻を指差して、まだ声変わりもしていない高い声で静かに言う。

「生きてるっていうなら、人もアリも同じだよね。虫だって、動物だって、植物だって。或いは、おもちゃたちだって」

「……それで? 何が言いたいんだ?」

 おもちゃは違うだろうと言いたかったが、私はそれをぐっと抑え言葉を紡ぐ。

「でも人間は、それらの命を奪うよね。何もかもを」

 途中、私を見つめる。私はぼんやりと昔のことを思い出しながら、腕を組んだ。

「全ての人間がそういうわけではないだろう」

「じゃあ蓮さんは、今までわざとじゃないにしろアリを一匹も踏みつけてないって断言出来る? ……出来ないでしょ?」

「…………」

「だから時々、思うよ。人は生きながらにして奪う、壊す、殺戮者なんじゃないかって」

 私は、目を閉じていた。別に、筧の言うことが正論で、感心して黙っていたわけではない。突拍子もないその結論に怒ったわけでもない。……筧がどんな気持ちでそれを言っているのか、それを考えていた。少しの間のあと、私はゆっくりと口を開く。

「……詭弁、だな」

「うん、そうだね。でもそれだけじゃない」

 筧はそう言うと、ブランコから勢いよく跳び降りる。しなやかな身体が一瞬弓なりに反り返り、次いで着地。私を振り返って、含みのある笑顔を見せた。

「だってさ、蓮さん知ってる? キリスト教の教えだとさ、人は生まれながらにしてみんな罪を背負ってるんだって。そして、その罪を償うために人は生きるんだって」

「どこで知ったんだ、そんなこと……」

 思わぬ知識に半ば呆れ、短く溜息をつく。筧はそれには答えず、笑顔で続ける。

「さっきの僕の考えと照らし合わせてみると面白くない? 生まれながらの罪を償うために生きるのに、生きながらまた罪を作る。……わけわからなくない?」

 言っていることとは裏腹に、極上の笑みを浮かべる筧。純粋で、それでいて残酷。そんな、子供そのものを体現したような少年に、私は不本意ながら顔が緩まるのを感じた。呟くように、言う。

「相変わらず変な子だな、君は」

「そうかなぁ? 蓮さんだって、集団の中の一個体としては十分おかしいと思うけど」

「その言い回しがまず変だと思うが? ……私はただの堅物だ」

 私は頭(かぶり)を振って立ち上がりやおら両手を持ち上げてみせる。筧は腰の後ろで両手を組んでそれを見ていた。……その姿は、やはり少女にも見える。制服でなく私服であることもまた、それを引き立てていた。私はわざと、少しからかうようにして言った。

「学校でいじめられたりしないのかい? そんなことばかり言ってて」

「大丈夫だよ。僕、普通の人には猫かぶって生きてるから」

「……自慢して言うことじゃないが、まぁ利口だな」

 無神経な言葉だが、私はある意味それはないだろうと確信していた。……だからこその発言。筧もそれをわかっていて、普通に答えたのだろう。
 そして、私はここで納得がいかない点に気付く。

「ならなぜ。初対面で『普通』の私にあんな態度をとったんだい?」

「普通を強調してもダメー。……蓮さんは、僕と同じ人間だと思ったから」

 質問を予想していたのか、筧はやはり笑顔で言った。私は再び腕を組み、目を細め、口を堅く結ぶ。そして、ぼそりと言う。

「……実に心外だ」

「またまたぁ! 嬉しいくせにぃ!」

 その言葉に、筧は意地悪く笑ってあどけなくおどけてみせる。私はこの少年に対して、何か父性というものを感じているのかもしれない。筧の頭に手を乗せ、わしゃわしゃと乱暴に撫でてやる。嫌がるかとも思ったが何やら気持ちよさそうにしている。私はしばらくそれを続けたのち、手を離して微笑んだ。

「今日は、もう帰るとするよ」

「……うん」

「また、明日だ」

「うん!」

 寂しげに呟いた筧に、励ますように笑って言った。だが、別に嘘でもない。明日も来よう。素直に、そう思う。振り向くと、普段からちまっこい筧の姿が更に小さく見える。日はすっかり落ち、月が綺麗だ。

「確かに、私たちは似ているよ」

 誰にともなく、空を見上げて囁いた。
 そうだ、似ている。私の小さかった頃に。だが私は、翼を失った。純粋という名の翼……というのは少し格好つけすぎかもしれないが。紆余曲折の末に、ひねくれ、ねじれ、折れ曲がった。考えることをやめたんだ。……そうだ、懐かしかったのは。どうしようもない懐古に襲われたのは、その心が綺麗だったから。素直だったから。そして、あの日の私に重なって見えたから。

「……ふふ」

 自然と、笑みがこぼれる。何となく、筧にはずっとあのままでいて欲しいと思った。世の中の理不尽さ、酸い、甘いも知り尽くした上で。そのまま。




 風が、冷たい。明日は、どんなことを言うのだろうか。……平凡な私の人生の中に、少し彩りが与えられた。私は止まっていた足を動かして、再び歩き出した。






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